2017.03.13
タコさん、東京ゲームショウへ行く:夢は現実に
Christophe Galati
助けてタコさん
Deneos Production

僕が日本へ行くまで

こんにちは、僕は Christophe Galati。フランス出身、22歳のインディーゲームディベロッパーで、『助けてタコさん』というゲームを作っています。今回は、僕がどのようにしてタコさんを 2016 年の東京ゲームショウへ連れて行くことができたかを書いてみようと思います。幸運にも恵まれましたし、フランスのゲーマーとディベロッパーにも多大な支援を頂いて実現した旅路でした。それでは笑覧ください。

1. プロフィール

ここは短くまとめようと思います。僕は 12 歳の頃に RPG Maker を使ってゲームを作り始め、その後ビデオゲームを専門とする大学に進学、ここでプログラミングを学びました。直近の 2 年は余暇時間や週末に『助けてタコさん』の開発を進めながら、平日昼間はゲームスタジオで働いて奨学金返済/技術向上に勤しんでいます。幼少期はフランス南部で過ごし、兄たちが所有するレトロゲームを遊んで育ちました。またこの時期には多くの日本産ゲームをプレイし、それが最終的に『助けてタコさん』という形をとることになりました。

2.『助けてタコさん』というオマージュと達成

『助けてタコさん』は 2014 年、ゲームボーイの 25 周年を祝うべく開発を始めたジャンプアクション RPG です。現在開発チームは 2 名。Marc-Antoine Archer がサウンドデザインを担当し、それ以外は僕が担当しています。当時はひねりのないジャンプアクションでしたが、以来作り込みを続け、今ではしっかりとしたストーリーと多様なコンテンツを備えたゲームにまで成長しました。本作は主人公であるタコさんが敵に墨を吐きつけて足場にする能力を中心とした作りになっており、コンテンツとしてはパワーシステム(50 種類の帽子)や村、カットシーンやサイドクエストなども用意されています。またゲーム全体を通して「ゲームボーイ感」を大切にしていることも特徴です。ストーリーは「タコと人類が戦争中の世界…ある日タコさんが海に落ちた人間を助けたことで妖精から地上で呼吸する力を授かることになる。だがその能力と引き換えに彼は人類を憎まないという約束をすることとなった…」といったあらましになっています。

3. 寝室で作っていたゲームが東京ゲームショウにたどり着くまで:クラウドファンディングの力

ではさっそくタコさんの冒険譚に進んでいきましょう。開発開始以来、僕はフランス国内で Stunfest や EIGDs といった複数のインディー系イベントに出展してメディアへの露出を得ることができましたが、残念ながら海外のイベントに出展した経験は一度もありませんでした。しかし 4 月のある日、僕は東京ゲームショウのオンラインフォームから出展申請を提出します。当選すれば東京ゲームショウに無料で出展できると知ったからです。しかし正直なところ返信が来ることすら期待しておらず、仮に何らかの奇跡が起きて当選してもどうせ日本まで行くのは難しいだろうと思っていたので、実際のところ申請したことすら忘れていました。しかし 7 月のある朝、一通のメールが届きます。

​このメールを何度読み返したかわかりません。でもひとつ確かだったのは、僕が選出されたということでした。その瞬間湧き上がってきた感情は 2 つありました。ひとつは興奮、そして現実を直視した後に襲ってきた不安です。奨学金を返済中だった自分にとって今の収入や貯金から費用を捻出することは難しかった上に、僕はこれまでヨーロッパを出たことがなくパスポートも持っていなかったのです(そもそも飛行機に乗ったこともありませんでした)。しかしそれでも、僕は当時東京滞在歴 2 年だった友達の Laura に連絡を取り、来日中泊めてもらう約束を取り付けました。これでひとつ不安材料は減ったと考えた僕は、次の行動に移ります。オンラインで資金を募るというアイデアを思いついたのです。早速何人かのインディーゲームディベロッパーに意見を聞いてみると、全員がいい考えだと賛同してくれ、ファンディングページの見た目を改良するための助言まで寄せてくれました。僕には資金を出してくれた相手に対して返せるようなものは何一つなかったので 1 週間ほど悩みましたが、結局は当たって砕けろの精神でやってみることにしました。なお、このページを立ち上げる際には Valentin Seiche がアートを製作してくれました。

​その後はフランスのインディーコミュニティとゲームを支えてくれているファンが Twitter や Facebook で強力にバックアップをしてくれました。専用サイトで告知をしてくれたり、僕のクラウドファンディングページへのリンクを張ったバナーを投稿してくれた人までいました。そして 48 時間後、僕のキャンペーンは見事目標額を達成しました。この一連の出来事は、フランスのインディークリエイターの助け合い精神を見事に示す良例になったのではないかと思います。本当に日本に行けるんだ、とこの時ついに感じました。その後は警察署に出かけてパスポートを申請し、当日までに出来上がらなかったらどうしようと不安がったりしていました。

一方で、ゲームを日本語化しなければいけないという問題もまだ残っていました。そこで僕は、以前から連絡を取り合っていた Unity Games Japan の日本人翻訳者に助言を求めました。支払いをすることはできないし、時間的な制限もあるのだけどタコさんを翻訳することはできるだろうか?と。すると彼は有志を募ってくれ、やがて向山 “むっきー” 彰彦氏と引き合わせてくれました。彼は元セガ勤務の経歴を持つ方で、インディーゲームディベロッパーを支援したいと名乗り出てくれたのです。そして “むっきー” はプロの翻訳者ではないにも関わらず、『タコさん』の冒頭部分を記録的な速さで翻訳してくれました。

そしてフライトまで2週間を切った頃、僕のパスポートは無事に手元に届き、続いて東京ゲームショウのパスも到着しました。この日本行きの航空券はクラウドファンディングで調達した資金で購入したものです。また、タコさんのバッジとステッカーも作りました。さらに日本に住む日本人や外国人の知人(これまで実際に会うことができなかった人たち)と会う約束を取り付け、10 日間の滞在期間中に開催されるインディーイベントの申し込みも済ませました。これで準備は万端。ついに夢が現実のものとなる瞬間が近づいていました。そして時間はあっという間に過ぎ、2016 年 9 月 9 日、僕は日本へと旅立ちました。

4. はじめの一歩:初めての東京

​9 月 10 日の昼過ぎに羽田空港に到着すると、Laura(彼女には感謝しきれません)が迎えに来てくれました。日本での滞在 10 日間のうち、最後の 4 日間は東京ゲームショウに充てていましたから、残りの自由時間はできる限り東京という街を満喫して思い出をたくさん作り、自分が影響を受けたものに縁のある場所(レトロゲームのお店や伝統的な日本料理屋、グッズ探しなど)を巡ろうと決めていました。

僕としてはできるだけたくさんの人にあってゲームについて伝えたかったので、見つけたたこ焼き屋さんとレトロゲームショップには必ずステッカーとバッジをプレゼントしました。もしかしたらいつか、こういう小さなモノが素敵な思い出を呼び起こすことだってあるかもしれませんからね。

​それから観光の合間には知人やゲーム業界関係者とも率先して会うようにしました。時期が時期なので、東京には多くのゲーム関係者が集まっていて、海外のディベロッパーやジャーナリストなどともたくさん出会うことができました。とりわけ楽しかったのは、『助けてタコさん』を翻訳してくれた “むっきー” との会食でした。彼は友人(いろんな伝説的ゲーム会社で働く人たち)も連れてきてくれ、あれには思わず目が星でキラキラしてしまいました。また東京で働くフランス人とも知り合うことができたので、タコさんリリース後にもしかしたら自分も日本に住むことがあるかもしれないぞと考えた僕は入念な聞き込み調査も行ったりしました。

5. インディーの集う場所、ピコピコカフェ

​来日からの 1 週間はあっという間に過ぎ、やがてインディー系イベントの時期がやって来ました。最初のイベントはピコピコカフェで開催された Picotachi#36。ここは東京のインディーシーンにおけるハブ的存在で、Pico-8 の製作者である Joseph 氏が経営しています。このカフェの重要性は、Anne Ferrero 氏のドキュメンタリー『Branching Paths』(これは必見の映画です)を見るとよく実感できます。本作は複数のディベロッパーを追いながら日本のインディーシーンを数年にわたり取材した素晴らしい作品です。このイベントには来日前から申し込みを済ませていて、早く色んなゲームを見たいと心待ちにしていたのですが、期待以上に楽しむことができました。紹介されたゲームは韓国製の Wii U ゲームや『Line Wobbler』、『RPG Maker』など実に多様性に満ちていました。僕は発表一番手だったのですが、スライドをめくり終えた後にゲームのビルドをプレイしても良かったのだと気づきました。僕の後の発表者は全員そうしていたし、タコさんのビルドも手元にあったので、その点だけは悔やまれます。僕からのアドバイスは、「もしどこかでゲームのプレゼンをする機会に恵まれたら、ゲームをプレイするに限る!」です。それが一番伝わりますからね。いずれにせよ、いいフィードバックももらえて、多くの人がその後 TGS でブースまで来てゲームを遊んでくれたので結果オーライだったのだと思いますが。活気に満ちて居心地も良く素晴らしい体験だったので、日本を訪れるクリエイターはピコピコカフェを訪れることを強くお勧めします。

6. 東京ゲームショウ:夢が叶った瞬間

​そして待ちに待った瞬間が訪れました。東京ゲームショウの開幕です。4 日間にわたり開催されるこのショーは、業界人向けのビジネスデー 2 日と一般公開されるパブリックデー 2 日から構成されています。開場時間は午前 10 時から午後 5 時まで。会場は東京近郊にある幕張メッセで、僕が滞在している先から公共交通機関でちょうど 1 時間程度でした。最初の 2 日は友人の Laura と Bastien にも会場入りしてもらい、ブース設営を手伝ってもらいました。会場についた時は、テストの結果が張り出される日のような感覚に包まれたのを覚えています。リストにある自分の名前を見て、ブースを探すのは不思議な体験でした。僕は法人化していないので、ブース名には僕の名前がそのまま記されていました。

​インディーディベロッパー向けのエリアは少し離れたホールに配置されていて、ここには VR ゲームなども置かれていました(すごい賑わいでした)。ただ僕は一人でブースにアテンドしていたので、ショーを見て回ったり運営側で用意してくれた商談用ミーティングスペースを活用したりすることはできませんでした。なので期間中は自分のブースの周辺で展示されていた他のインディーゲームを遊ぶだけにとどまりました。個人的に、ビジネスデーでは可能な限り多くの業界人にゲームをプレイしてもらって名刺を集めることを目標としていました。来場者はそれぞれバッジを首から下げていて、バッジには企業名が記載されていましたから(なおメディア関係者は別の色でした)、セガや株式会社ポケモン、バンダイナムコやスクウェア・エニックスといった名だたる企業の社員さんがブースを訪れると、それがひと目で分かりました。それから、フランスのテレビ局(Game One)や日本のメディアのカメラにも映る機会がありました。

​ビジネスデー 2 日目の夜には海外の人も多く訪れる TGS パーティーが催されていました。僕はまた多くの人と知り合えるチャンスだと考え、溜まってきた疲れをなんとか無視して出席しました。しかし毎日ちゃんと 5 時に終わってくれるのは唯一の救いだったかもしれません。何と言っても翌日からは人で溢れかえる一般日でしたから。しかし一般日には、年齢や男女を問わず多くの日本の皆さんに自分のゲームをプレイしてもらえたので疲れを補って余りある成果は得られたと思います。また 2 年前にタコさんの動画を作ってくれた日本人実況者のヒラさんもブースを訪れてくれた他、Game Xplain さんもゲーム画面を直撮りして動画をアップロードしてくれました。

​ゲームショーの後半には、電撃オンライン紙の選ぶインディーゲームトップ 10 にタコさんがノミネートされたり、ファンの方からプラスチックのタコさんをプレゼントされたりと嬉しいことが続き、そして終幕しました。この 4 日間は多くの出会いに恵まれただけでなく、タコさんの、そして僕の未来を大きく変えてくれたように思います。

7. Indie Stream Award 2016:日本インディーシーンとの出会い

​帰国前最後のインディーイベントとなったのは Indie Stream Awards でした。Anne Ferrero 氏に勧められて出席したこのイベントではタコさんが優れたゲーム 15 本のひとつに選出され、帰国前にひとつ嬉しい思い出が増えました。イベント会場は TGS 会場から近かったので、僕と近くの日本人インディーディベロッパーはショーが終わると一緒に会場へ直行しました。このイベントは他と比較して外国人が少なく、まさに日本のインディーシーンが一箇所に集結しているような雰囲気でした。スピーチも日本語でしたしね。賞こそ取れなかったものの、ノミネートされ、多くのクリエイターにゲームを知ってもらえたので大変幸せなことだったと思います。また Anne 氏には『Downwell』の作者もっぴん氏をはじめ多くの人を紹介してもらました。名刺もたくさん集まり、日本滞在を締めくくるには最高のイベントとなりました。

8. 思い出雑記:

  • どうも日本の方は Xbox コントローラーがすごく苦手みたいだ(Xbox が日本で成功していないから?)
  • “むっきー” が、日本には「聞き飽きた」という意味の「耳にタコができる」という慣用句があると教えてくれた
  • 日本の方は、フィードバックをくれる時に改善点や嫌いだった点よりも、好きだった点を挙げてくれることが多かった
  • 東京滞在中、一番多く見かけたゲームキャラクターはカービィだった
  • TGS 会場では 4:50 になるとイベントの終わりを告げる音楽が鳴りはじめ、5 時には人が全部はけていた。日本人はまじめだ
  • 日本のゲーマーの人たちはゲームを遊ばずバッジを持っていかない。遊んだあとに、ごほうびとして持っていく感じ
  • コンビニ(24時間開いてる小さな店)最高!(毎朝会場に行く前におにぎりと巻き寿司を買うのが習慣になった)
  • 2階より上にバー、レストラン、店がたくさんある…見つけづらい店がたくさんあるなあ
  • 日本のクリエイターの人と話していても、全然距離感を感じなかった。ただ相手は、僕が子供の頃から日本のゲームを遊んで育ってきたって言うとびっくりしてたけど
  • 今回の旅行の戦利品はこんな感じ

9. 未来に向けた大きな一歩

​​これにて僕の冒険記はおしまいです。僕にとっては夢のような体験だったので、これを読んで少しでも追体験してもらえたら嬉しいです。今はタコさんの第 2 章(全 3 章の予定)を仕上げているところです。このまま順調に行けば来年には Steam と…できれば任天堂のゲーム機でリリースすることになると思います。今僕は 22 歳ですが、自室で余暇時間に作り始めたこのプロジェクトがここまで来られたこと、そしてインスピレーションの元となった国を訪れられたことをとても誇らしく感じています。東京を訪れたことで、僕は日本のプレイヤーの皆さんと直接会い、ゲームに対する期待を盛り上げていく基礎を作ることができました。多くの人に楽しんでもらえるゲームを完成させ、更なる飛躍を遂げられることを強く願いつつ、今回はここで筆を置こうと思います。最後に、僕の訪日をサポートしてくれた皆さん、本当にありがとうございました。ゲームの最新情報はどんどん出していきますので、これからもよろしくお願いします!

10. リンク

プロフィール

Christophe Galati

フランス南部出身のインディー開発者。12歳の時RPGツクールでドット絵と脚本を独習、後にパリでデザインとプログラムを修める。19歳でゲームボーイ25周年に合わせ助けてタコさん製作開始。TGS 2016とBitSummit 5では来日もしている。

助けてタコさん

  • アクション

プラットフォーム

  • Windows
  • Mac

言語

  • 英語

WEB

GAME ゲーム

INTERVIEW 開発者インタビュー

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