Macユーザー、とくにWEB開発者にとってはお馴染みの方も多数いるであろう、強力なコードエディタであるCoda。そして定番FTPクライアントソフトであるTransmit。ユーザーの熱い期待を背負いつつ開発を続けているのはポートランドに本社を構えるPanic Inc.である。そんな彼らが最近行っていたのは、数々のアワードに輝いたとても話題のタイトル『Firewatch』の開発協力、そしてパブリッシングだというのだから、興味を惹かれる読者も少なくないだろう。
この話の舞台裏を知るべく、今回はパニック・ジャパン株式会社の代表を務める長谷川 暢宏さんにお話を伺いに行った。
インタビュー: 池和田 有輔
長谷川 暢宏
海外製ソフトウエアの輸入販売代理店に勤務後、ディストリビューション事業の全般に従事したその手腕とカレー、TVゲーム好きを評価され2004年より米Panic Inc.に加わる。オレゴン州ポートランドでの本社勤務後、2009年日本法人を設立。代表取締役に就任。現在は「Firewatch 日本語版」を皆さまにお知らせし、プレイいただくために奔走する毎日。
池和田
CodaやTransmitは自分も愛用させていただいているのですが、開発元のPanicさんがゲームに関わられているということは全く存じておらず、やはり今回はそのあたりのお話から聞かせていただきたいと思っています。
長谷川
ですよね。「なぜゲーム?」というように思われる方も少なくないだろうし、実際そういった話はたびたび耳にします。しかもモバイルゲームではなくPCやPS4ですからね。
池和田
そう、スマートフォン向けのカジュアルゲームを開発されていた、というのであればそこまで不思議に思うことではないのですが、あの『Firewatch』ですからね。しかもゲームとの関わりは今回が初ではないという。
長谷川
Panicの社員にはゲーム好きが多く、それに絡んだ仕事をやる機会を伺っていたような節がありました。例えばうちはソフトウェアをリリースするタイミングでTシャツを作ったりしますが、そのノウハウを活かし、ゲームのTシャツを売るサイトを企画したこともありまして。
ポートランドのPanic本社オフィス
池和田
いわゆるゲームグッズ販売を行うECサイトのような?
長谷川
それだったらうちでもできるかなあ、というようなことでもありました(笑)。もう随分前になりますが、社内で『塊魂』が流行ったことがあり、まずはそのグッズを作って売ってみようかという話になりました。もちろん日本のゲームなので、「日本人同士、ちょっと交渉してみてくれ」という話になりまして(笑)。
池和田
長谷川さんに白羽の矢が立ってしまったわけですね(笑)。
長谷川
はい。それで、窓口に電話したんです。「御社の、塊魂のグッズを作りたいんです」って。「ライセンスというものがあるのはご存知でしょうか」と言われまして。「あ、はい、僕たちはMac用のアプリを多数作っているので、ライセンスというものがあるのは存じてあります」みたいに返答して(笑)。
池和田
(笑)。
長谷川
先方も困ったとは思いますが、紆余曲折を経て最終的には決定権のある人の所にたどり着きました。ありがたいことに、塊魂のゲームデザイナー高橋慶太さんも弊社のTransmitを使っていただいており、「なんでソフトウェアの会社がTシャツ作ろうとしているの? …まあ、別にいいけど…。」みたいな感じになりまして。
池和田
そこはいいんだ(笑)。
長谷川
デザインなども先方が担当されるということになりまして、その後時間はかかったものの、無事ローンチされました。そういったゲームに関わりのあるプロジェクトも実は行っていたんですよね。
当時販売していた高橋慶太さんデザインのTシャツの一部。
(その高橋さんがポートランド本社を訪れた時のブログエントリ「Keita Takahashi Visits Panic」も合わせてどうぞ。)
池和田
となると、自分たちの手でゲームを作る、というような話も出たわけでしょうか?
長谷川
過去にはそういった話もありました。実際、社内でも個人的に小規模なモバイルゲームを作っているスタッフもいますし、社長をはじめとして本当にゲーム好きが多いんですよね。ただ、我々が好むのは、どちらかといえばリビングで腰を据えてやるようなゲームなんです。綺麗なグラフィックや素晴らしいストーリーが魅力的なものなどですね。
池和田
PCや家庭用ハードのゲームということですね。開発規模もやや大きいような。
長谷川
なので、ノウハウのない我々がそれを作れるかといわれると、現実的にはなかなか難しいわけです。そんな折にショーンとジェイクという二人の友人から、ゲームスタジオを作ったけど協力を得られないかというような相談がありまして。Campo Santoという小さなスタジオで、彼らが開発を進めていたのがFirewatchだったわけです。
池和田
それはいつ頃の話でしょうか?
長谷川
2013年ですね。自分もよく知っているような間柄なんですが、彼らはゲーム開発者としてウォーキング・デッドのシナリオを手がけていたこともありました。
池和田
ゲーム版のウォーキング・デッドは、自分にとっても印象深い作品です。
長谷川
特にジェイクと我々は、以前から仕事面での関わりがありまして。うちがリリースしていたAudionというMac用のメディアプレイヤーをご存知でしょうか? 特にMP3プレイヤーとして知られていましたが、多様なスキンによってインターフェイスが変えられることが大きな特徴だったんです。当時、ジェイクはそのスキンを手がけていたデザイナーでもありました。
「フェイス」と呼ばれる多様なスキンが特徴的だったAudionのUI
池和田
なるほど、仕事仲間というかビジネス上のパートナーでもあり、信頼関係もあったわけですね。
長谷川
そうですね。その頃は弊社の「Coda」がアップルのデザインアワードを頂くなど一定の評価を得まして、ユーザーさんも増え、自分たちも得たお金を次のプロジェクトに使おうとしていたんですよね。そこに彼らのオファーがうまくハマった感じでした。
池和田
Codaの売り上げが、Firewatchの資金になったわけなんですね。そういった援助以外にも何らかの協業体制を築いたのでしょうか?
長谷川
はい。まずは「じゃあ出資しましょう」という話になりましたが、それ以外にもQAを手伝うとか、ウェブサイトを作るとか、手を動かせるときは手を動かしつつ、例えばMac版はうちのほうで作りますよ、というような話し合いが行われました。
池和田
となるとPanicのスタッフさんもUnityを使い、プロジェクトファイルの編集を行っていたわけですね。
長谷川
そうですね。そういった話の流れからPanicがパブリッシャーを務めることになりました。
池和田
海外のインディペンデントなスタジオって、お金を集めるのがうまい人が必ず一人はいるようなイメージがあるんですが、最初の段階ではCampo Santoからピッチのようなことがあったんですかね?
長谷川
うーん、そのあたりはきちんと把握していませんが、おそらく無かったんじゃないかな。電話か何かで「とりあえず銀行にお金振り込んでくれない?」みたいな感じだったような…(笑)。お友達同士での話し合いというか。
池和田
なるほど(笑)。そこは強固な信頼関係があってこそのものだと。
長谷川
そうですね。
池和田
Firewatchの開発は何人くらいで進められてたんですか?
長谷川
メインでやっていたのは…10人くらいですかね。
2017 Game Developer Choice Awards 授賞式の様子
池和田
え、そんなに少ないんですか?
長谷川
そうですよ。予算もリソースも限られた状態だったので。まずゲームとして完成させなきゃならないので、まずは英語版を完成させることに集中しました。で、当然英語がわかる国の人たちに売ったわけですが、その後ローカライズを考えた際も、まずは入れ込みやすい言語からサポートしましょう、みたいな発想で、私も強く言えませんでした。
池和田
日本が最後になるパターンですね(笑)。
長谷川
ええ、でもそれで良いとは決して考えていた訳ではないです。さらに、日本語音声の収録やパッケージ化などにもチャレンジしたく、そのパートナーとなる会社さんを探し続けていました。一方で、時間はどんどん過ぎていってしまいます。ですので、並行して字幕の翻訳を行うことにしました。
池和田
翻訳自体は外部の方にお願いした形ですよね?
長谷川
はい、BitSummitのときにハチノヨンさんと知り合いまして、すぐにお願いしたわけではないんですが、彼らに任せればきっと良いものになると思ってました。
池和田
ハチノヨンさん、本当に良い翻訳をされますよね。実際に担当されたのは誰でしょう?
長谷川
福嶋 美絵子さんですね。ハチノヨンさんには大変お世話になりました。
池和田
なるほど。では晴れて、日本語版リリースと?
長谷川
私もそう思っていました(笑)。しかし中国語を入れたときにもそうでしたがフォントがガタついたり、気になる部分があったんですが、同じ状況になりました。中国語版の時はそのままでしたが、自分のような日本人スタッフがいる以上、日本語がそういう状態だとやっぱり許容できないじゃないですか。これは良くないってことで、なんとかしようとしました。
池和田
長谷川さんがそのあたりの旗を振ることに?
長谷川
日本語の表示に関していうと、バシッと来るフォントがないとか、カーニングがおかしいとか、さまざまな苦労がありました。またパブリッシング面では業界の諸先輩方に、日本語字幕版としてオンラインでリリースする形が良いのでは?と多くのアドバイスをいただきました。であれば、そもそもMacのソフトウェアのローカライズは通常業務の一環だったので、ゲームもそれと同じようなものでは?と考え、自分たちの手を動かしてリリースさせることにしました。しかしながらCampo Santoにとっても自分にとっても初めての経験が多く、工数が読みにくい部分もあり、念願だったPS4版をリリースできましたが、日本語版は本当にお待たせしてしまった形ではありますね。
池和田
どういった苦労があったんですか?
長谷川
まずはレーティングですね。日本でPS4版を売るためには、コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)の審査が必要で、また音楽についてもJASRACに届ける必要があるんですが、なにぶん初めてのことで、調べながらやる、聞きながらやると言うかたちで、これが思った以上に時間がかかりましたね。
池和田
外部の方に頼らず、全部長谷川さんがやられたんですか?
長谷川
広く言えばそれも僕達の社風、ということになるかもしれません。Panic Inc.の本社はオレゴン州のポートランドにあるんです。ポートランドは最近は日本でもコンパクトシティとかDIYのイメージが定着しつつあると思うんですが。
池和田
西海岸の中でも特に「のどかだけどオシャレ」みたいなイメージがあります。
長谷川
そのポートランド文化は企業にもあって、あんまり外注とかしないんですよね。「自分たちでできることは自分たちでやろうぜ」みたいな。知らないうちにそれが自分にも染み付いていたのか、CEROにせよJASRACにせよ、「許諾関係も自分でやろう」みたいな感じになってたんですよね。それはそれとして、手元には素晴らしい翻訳があり、これをいち早くお届けしたい。「のどかさ」とは相反する私も居るわけで、ある種の使命感を持って、開発元であるCampo Santoやウチの社長を焚き付け、巻き込み、無事出荷することができました。
池和田
自分にとっても待望の日本語版リリースでした。今後も長谷川さんはPanic Inc. のスタッフとして、ゲームに関わっていくのでしょうか?
長谷川
どうでしょう。もちろんゲームは好きだし、せっかく得たノウハウを活かしたいという気持ちもありますね。それからそういったノウハウを必要とする方が居れば、役に立ちたいという気持ちもあります。まあ、でもFirewatchですべきこともまだまだ残っているし、今はそれに注力していますよ。
池和田
では、他のプラットフォームの日本語化も含め、今後のリリースも心待ちにしております!
池和田 有輔
フリーランスとしてWEB制作・広告制作のキャリアを経て、2013年からRépublique開発チーム(Camouflaj, LLC.)に参加。ユニティ・テクノロジーズ・ジャパン合同会社に入社後はエバンジェリストとしてUnityの伝道活動に携わってます。