2017.06.06
くれいじいさんのゲーム作り自伝
呉 英二
First Queen 1
呉ソフトウエア工房

こんにちは、「くれいじいさん」です。改めて自分の写真を見ると、「老けた」と思いますね。仕方ないです。
インタビューと一部重なるかもしれませんが、ここでは私のゲーム作りについてお話したいと思います。

できる範囲で何が表現できるか

自分はプログラマーにはなれないだろうと思って教師を始めたのですが、ゲーム作りの道に入り、今でもプログラマーの端くれをやっております。
PCを手に入れてゲームが自分でも作れると知った時は衝撃でした。昔毛嫌いしたプログラミングもキャラを動かすためならば苦にはならずに自学で何とかなりました。その頃のゲームセンターではビデオゲームブームが来て『スペースインベーダー』が全盛。『ギャラクシアン』『パックマン』など次々に新作が投入されてました。
当時のPCでアーケード同等のものができるわけではないので、「できる範囲で何が表現できるか」を考えました。

1.とりあえず丸いキャラ(〇)をキーを押したら動かしてみる。
2.動いたらその方向に動き続けるようにしてみる。
3.画面の端にきたら、跳ね返してみる。
4.バドルのようなものをキーで動かして、キャラに当てるようにしてみる。
5.適当な「的」を置いて、キャラが来たら消えるようにしてみる。

これだけの手順で、ゲームもどきのようなものが出来てきました。もちろん、初めは思い通りに動かない、バグだらけですが、不具合が目に見えれば修正も難しくありません。

*今でもなかなか正体を現さないバグ(再現性がないと言います)は修正が難しいですので、目に見えない部分のプログラムでは、プログラムの動きをモニターするなど目に見えるようにしてバグ修正します。

例え〇一つでも画面上にキャラが動くようになると、やれる事は無限に広がります。スカッシュ、ピンポン、ブロック崩し、と来て一般のシューティング、野球などのスポーツもの等々……。

シンプルなだけにイメージが作りやすかったので、ただ〇を打ち返して、ヒットとかアウトとか出しても「それが野球?」って突っ込みは当然生まれるわけですが、アイデアは出しやすいです。
アスキー文字を使っただけでも、ダンジョンとモンスターを表現できましたし、プレイヤー視点の疑似3Dによるドライブゲームや迷路脱出ゲームなど、「おお、こんなアイデアが」と思わずケツ浮きのアイデアが披露されました。

しかし世の中の進歩は早く、すぐにカラーで絵の作れるPCの時代になり、表現の幅が圧倒的に広がりました。

作り手のやるべき事も各段に増え、色のついたドットによるグラフィックで構成された世界を提供しなければなりません。絵は簡単なものでも良いですが、プログラムは多くの処理をする必要があります。
でもただ〇が動くものよりは俄然世界が広がりました。ブロック崩しの世界から、キャラが演技する世界に変わったのです!
ゲームの作り手は、自分で簡単なキャラを作りプログラムをしてパソコン紙上に様々な作品を発表し始めました。
ゲーム作りは「何が可能か」から「何を作るか」になったのです。

何がゲームになるか

今では常に新しいゲームがリリースされていますので、「これぞゲーム」というのはどなたにでもあると思います。

その当時もアーケードゲームに実に多くのアイデアが投入され、これらの作品をPC上で再現するのも多くのPCプログラマーの腕の見せ所になりました。

優れたゲームを遊ばせてもらいつつも、自分で考えたゲームが一番作りやすかったので、小噺程度のネタをゲームにしてみました。

1.ジャングの中に分け入り、魔物の卵を取ってくるゲーム。根絶やしにすると卵がとれなくなるし、増えすぎると成獣に攻撃される。
(当時のPCはグラフィックの表示とテキストの表示に分かれていたので、グラフィックがテキストによって隠れる事を利用)


2.ポンコツ船に取り残された船員を動かして、入ってくる水をポンプで出しながら港を目指す。
(住みついているネズミが船底を齧って穴をあけるので、そのネズミを捕まえてあけた穴に押し込み穴を塞ぎます)


3.アーケードでも多くあった縦スクロールシューティングゲーム。色数をあまり犠牲にせずに高速表示する事を重視。
(敵の動きを固定化せず、乱数で多様性を持たせましたが、固定化した方がユーザーの学習が生きますのでその点は反省)

昔は今のような蓄積がないので、「何を作るか」に拘りがありませんでした。作る事に意味があり、作品ができればアーケードゲームをPCに移植する仕事も入って来るようになりました。

ようやくプログラマで食べて行けそうになりましたが、作ったゲームの寿命は短いので作品を作り続ける必要があります。

作者に影響を与えるのは主にその人の経験です。子供の頃に経験したものは心に残っているものです。
私のガキの頃のゲームセンターは光線銃によるシューティングゲームとピンボールがメインでした。読んだ本はSF(冒険科学小説と呼ばれていた)ばっかり。マンガは読み放題。見た映画も沢山ありました。

いろいろ考えるよりも何か作ってみるって事で、私の最初の大きな作品は『デューン/砂の惑星』のイメージを疑似3Dでゲームにしました。
映画ではなく小説からのイメージで、暗い画面の印象があったので、当時8色表現出来たのを色数を落として高速で動作するようにしました。ゲームの内容は縦スクロールゲームから使っているアーマードスーツによる単独突入作戦です。

これを8色カラー化して作ったのが、会社を興しての2番目の作品『アルゴー』です。(1番目は縦スクロールゲームの続編)
小さい頃見てぶったまげた映画『アルゴ探検隊の大冒険』のイメージをゲームにしたものです。とにかくギリシャ神話は出てくるキャラが桁違いに大きいのです!
これを表現するのに疑似3Dを使い、地平線の向こうから登場するデカイキャラに突進する主人公を出しました。画面一杯の大きなキャラを書くと動きが遅くなるので、いかに早く表示するかがキモでした。この辺の競争も当時流行りでプログラマの頑張りがいのあった所です。(画像の手持ちがなくスミマセン)

「ゴチャキャラ」に辿り着いた

次に作ったのが、「ゴチャキャラ」の最初の作品です。大きいキャラを作った後ですが、こちらは沢山のキャラが出てきます。
これも小さい頃見てぶったまげた映画『ズールー戦争』のイメージがベースにあります。ズールー戦争は大英帝国がアフリカのズールー国に侵攻した戦いで、特に140足らずのイギリス軍に4,000のズールー族が襲い掛かり、イギリス軍が耐え忍いだのが有名です。

今でも覚えているのはほんのわずかな映像で、明け方イギリスの歩哨が丘の上にヒョコっとあらわれた一人の原住民を見ます。次の瞬間その両脇に数人の原住民がヒョコっと現れます。っと次の瞬間にちょっと離れた所にもヒョコっ。カメラ少し動いて、別の場所にもヒョコっ。ヒョコっヒョコっヒョコヒョコヒョコヒョコヒョコっ!あっと言う間に丘の上は兵士で一杯。
半世紀たった今でも覚えてますが、見直した事はないので、本当にそうだったかは定かでありません。

某放送局の大河ドラマでも良くありますが、軍勢同士がぶつかると、前線が形成されて押し合いへしあいしながら、やがて崩れ混戦になって、どちらから敗走するわけです。そんな場面をゲームで再現すべく頑張りましたが、問題は沢山あります。

1.地面をスクロールさせるだけで大変なのにキャラを沢山かいたら画面のスクロールがガクガクになる。
 → メインキャラだけはスクロールと同期させ、ガクガク感をへらしました。


2.キャラが多いと表示にも時間がかかるが、キャラごとの思考時間も大きく影響する。
 → 計算を単純化し、計算負担を減らしました。


3.画面が狭いので、前方突然に敵が出てくると、対応が間に合わない。
 → 移動前方にスペースを空けるような工夫をしましたが、スクロールが変と言われました。

障害を一つ一つ乗り越えて、作品に仕上げました。
内容は『ズールー戦争』ではなく、『アーサー王伝説』を題材にしました。ファンタジーRPGはPCゲームで花盛りになり、『ホビトの冒険』や『指輪物語』も小説で読んでいてイメージに大きな影響を受けてました。

所謂、8ビットマシンでは挑戦的な作品だった「ゴチャキャラ」も16ビットマシンでのファーストクイーンになると、上の問題も多くが解消しました。

続いて開発したゲーム

その後、16ビットマシンでゴチャキャラ作品を色々作り、コンシューマー機への移植も行いました。半面開発コストが跳ね上がり、ボツになった作品もでました。

ボツになった、日本ものゴチャキャラ第三弾『平家物語』のキャラ。ドット職人による可愛いキャラです。

3Dであるべきか?

この当時、日本ではNECパソコンという、世界標準とは違ったPCが主体となっていました。海外ではVGA規格という種類のPCが主体で、グラフィックの仕様が極端に違っていたのです。
海外のゲームは3D化が進み、自分視点のゲームが主流になりつつありました。
NECパソコンは3Dが不得手で、その変わり繊細な2Dが可能でアニメ調の作品が多くでました。

日本もいずれ3Dの波に飲まれると思い、また一人開発に戻りました。半年がかりでソフトウエア3Dエンジンを、半年がかりで3Dキャラを作りました。目指すは丘の上に並ぶズールー族4000人!

しかし、ファーストクイーンの基本は神の目線から指示を行うゲームです。シミュレーションは全体把握の上に成り立っているので、妥協しました。

これは町作りと戦争をシミュレートした3Dゴチャキャラ『ファーストクイーン・ザ・ニューワールド』のシーンです。

ゲームの内容はRPGよりシミュレーション性が強く、商人が敵の国から兵器の設計図を盗んできたりします。空中キャラのバードマンや、飛行船なども登場します。

この当時少なかった3Dグラフィック専用ボードの代わりにソフトウエアエンジンを開発しましたが、3Dボードはすごい勢いで導入され、海外の3Dゲームは巨額投資されたものになりました。

その後このシステムで簡単に遊べるゴルフゲームを開発し、収入を得る事はできましたが、頑張って3Dの研究を続けるのは止めました。

ワンクリックで簡単にスリングショット方式を採用

初心に戻って「できる範囲で何が表現できるか」をまた模索してます。やってみないと何も伝える事ができませんから、ある材料でやるしかないのです。

プログラマは皆クリエイター

大きな病気をした事もあり、長い事移植などのお仕事メインになってますね。グラフィックを作る事が難しくなって、プログラムが中心です。

まともにプログラムを習った事のない私ですが、この歳になってもまだ楽しくお仕事させてもらってます。プログラムする事自体、いろいろな工夫・開発をして行く事なのですから。

この点は模型作りに似てます。他人が作った材料を他人が作った設計図に従って組み立て仕上げます。場合によっては自分なりの塗装をほどこし綺麗にします。あるいは自分で材料を削り、設計も自分でしてイメージを具体化します。
いずれにしても根気はいりますので、しっかり養っておきましょう。

終わりにプログラマを志す若い人に老人から一言。

1.バグを出しても気に病む事はない。見えてるバグを直せないのは問題かも。
2.しっかり寝る事。
3.プログラムは覚える事より受け入れる事。

お読みいただきありがとうございました。

プロフィール

呉 英二

中学校教諭からゲームプログラマに転身。 30歳で、月間マイコンコンテストにて『ゼノン』がゲーム部門で1位。本格的に制作活動に入る。多人数リアルタイムシミュレーションゴチャキャラシステムを開発。 会社経営10年経って、再び個人開発に戻り、オリジナルの3Dエンジンを搭載した3Dゴチャキャラを発表。ゴルフゲームをOEM提供するなどして現在に至る。

First Queen 1

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