皆さまこんにちは。『NightCry』ディレクターの河野一二三です。
ここでは『NightCry』のストーリー解説をとのご依頼を受けて、わずかでもより『NightCry』を楽しんでいただくよすがになるならばと以下にいくつかのシーン、設定についてコメンタリー風に解説を試みるものであります。
シザーウォーカーについて
シザーウォーカーは黙示録・啓示17章に言うグレートバビロンをモチーフにしております。グレートバビロンは大娼婦とも呼ばれ、不道徳と堕落、頽廃の象徴。本編では実は不幸な犠牲者と呼ぶべき存在ではありますが、清水監督によるPVに見られるように邪教の儀式の中で妊娠した女性が井戸に落とされたことにより生まれることとなりました。
黙示録の文中では「さあ,多くの水の上に座る大娼婦に対する裁きをあなたに見せよう」「あなたの見た水、娼婦が座っているところは、もろもろの民、群衆、国民、国語を表している」とあるように水と深い関りがある存在でもあります。黙示録では水をメタファーとして記述しておりますが、作中ではそのままの意味にとり、井戸、客船、血だまりからの出現など、水との関係性を強調しているのもそれゆえなのであります。
設定的には水のある所からはどこでも出現できるというものがあり、ルーニー編では船内の水たまりから自在に出現する予定でありましたが、開発の限界で組み込むことができなかったのは痛恨事でありました。レナード編で孤島の井戸の底から突然出現するシーンは、その設定の名残となるものであります。

ゲーム内のシザー・ウォーカー
自販機にハリーが取り込まれてしまうシーン
おそらく序盤にして最もインパクトの強いシーンでありましょう。
そもそも思いついたきっかけは夏のある夜、自販機で奥に引っかかったらしく出てこないペットボトル。それを取り出し口の奥に手を突っ込んで引き出そうとしていた時のことであります。中がどうなっているかわからないところを手の触感だけでまさぐる。それは「箱の中身はなんだろな」ゲームなどに見られるようにそれだけで恐怖であるのは諸兄も想像がつきましょう。さらにその手を何者かに掴まれたら…そんなことを想像してゾッとした私はいつかこのネタをゲームに使おうと頭の引き出しに入れておくことにしたのでありました。
さらにこのシーンでは狭いところへと無理やり引きずり込まれる恐怖感というものも組合わされております。伊藤潤二先生の名作短編『うめく排水管』『阿彌殻断層の怪』に見られるような、狭い空間の恐怖というのは個人的に大変苦手なものであります。『阿彌殻断層の怪』のモチーフになったと思しき吉見百穴などは一般客が入ることのできる横穴の玄室がいくつかあるのですが、試しに入ってみたはいいものの、狭い空間の恐怖にたちまち得も言われぬ息苦しさを覚え外にまろび出てしまったものでありました。

ハリーは序盤で無残な姿に‥‥
ルーニーがトイレの貯水タンクで生首を発見するシーン
これも長年温めてきたシチュエーションの一つ。トイレの水を流したら女の長い髪の毛が…あるいは赤い血が…等は怪談話につきもののシチュエーションではありますがそこから一歩進めて、それを不審に思った人物が貯水槽を開けてみたらどうなるのか? その中に生首がぷかりと一つ浮いていたら、その時の衝撃たるや想像するだに恐ろしい物であります。
そもそも死体とは恐ろしいものでありますが、その中でも生首をどう扱うべきものか。これは古来より恐怖を題材とする者たるならば多大なる思考を費やし、知恵をひねりだしたものでありましょう。偉大なる先人、江戸川乱歩先生は船盛に使うような小舟を獄門船と称し生首を乗せて川面に遊ばせ、横溝正史先生は風鈴に見立てて吊り下げたり菊人形の上に乗せてみたり。実に様々な創意工夫を凝らしてきたものであり、不肖たる小生も僅かでもあやからんとそれを見習ってみたものなのであります。

不気味としか言いようのない生首
ルーニー編後半
ルーニー編でモニカを発見後、通風孔を抜けて船内上層部へと抜けるとそこはモニカ編で見覚えのあるエリアがすっかり様変わりしてしまっております。これは敢えて作中明確に説明をしておりませんが、開発内部では『煉獄モード』と呼称されておりました。煉獄といっても進道塾の秘技ではなくカソリックでいうところの生死の狭間の空間、仏教でいうところの三途の川、『境界のRinne』でいうところの境界のことであります。これは孤島で繰り広げられた予備術式、そして船内の存在において生者よりも死者の数が逆転し、まさに死生逆順というべき空間と化したということです。では生者と死者との境目が失われた空間では何が起こるのか。諸所愚考するに生者として社会生活を営んでいた時の倫理規範が失われ、人間のリビドーとタナトスがむき出しにされてしまう世界ではないのかと思うのであります。
ジェイコブズの『猿の手』、そしてそれをモチーフにしたのであろうキングの『ペットセメタリー』では蘇った死者は人間として後天的に植え付けられた倫理規範から解放されてしまった存在として描かれておりました。この作中『蛇の誘惑』と名付けられたエンディングで見せるレナードの姿は、まさにそれであると言えるでしょう。
とはいえレナードは知的かつ健全な精神の持ち主でありますから、ここでみせるルーニーへの執着というものは決して彼の本性と呼べるものではないと思っております。術式によって作り出されたその空間の魔力によって本人ですら自覚していなかったイドの怪物が目を覚まさせられたものでありましょう。

すっかり様変わりした『煉獄モード』