私の国、中国のゲーム文化をたどる(後編)

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私の国、中国のゲーム文化をたどる(後編)

中国の国土面積は広く、小売・流通業には色々な困難がある。PCゲーム産業は販売上の問題に直面することとなった。例えば、ゲーム雑誌で新作ゲームを見たが近所にはゲーム売り場がなくどこで購入できるのか分からない、売り場側も流通コストが高く入荷できない、などの問題だ。ファミコン互換機時代の状況と同じく、流通経路上で海賊版ソフトを生産する工場が現れるのは必然の流れだった。地方から見て、海外も上海もみな同じく「遠方」なのだ。また、海賊版と言っても値段が高く、一概に安いから海賊版が売れているという状況ではなかった。海賊版を購入していることに気づいていない人々も多かったかもしれない。ゲーム業界にとって、ユーザーが無意識に海賊版を買って遊ぶ習慣は致命的だった。

流通困難・海賊版などの問題にずっと苦戦してきた中国ゲーム業界を救ったのは、「オンラインゲーム」だった。

大転換の2000年=オンラインゲーム元年

2000年前後、インターネットサービスの普及に伴いPCの価格も急落し、中国の一般世代はようやくPCを購入することができるようになった。また、地方では「网吧(インターネットカフェ)」も流行り始め、中国ユーザーの大半、特に地方の人々はその時点でファミコンからPCゲームに移っていった。

2000年代の中国「网吧」風景。日本の漫画喫茶とは異なり、この頃の中国のインターネットカフェはオープン席が基本で、パソコンとスナック、ドリンクなどしか提供しない。その代わりに料金も非常に安く、プレイヤーたちはチームを組んでeスポーツゲームを遊んだりする。

PCシングルプレイゲームを開発していた会社はみな方針を変え、国内外のオンラインゲームを運営するゲーム会社が続々と現れた。中国大陸の華彩軟件(カサイソフト)は2000年、台湾の人気オンラインゲーム『万王の王』を輸入して運営を開始、最大同時接続者数は1万人を超えて中国PCゲーム業界の記念碑的存在となった。また、智冠科技が開発・運営する『オンライン三国』、北京聨衆互動(レンシュウインタラクティブ)が開発したテーブルゲームコレクション『聨衆ゲーム世界』や、華義遊戯(カギゲームズ)が輸入・運営する『石器時代』なども、あの世代のプレイヤーたちには馴染み深いタイトルだ。

しかしまさにこの2000年に、子供たちが学校をサボってゲームに熱中するという現象がマスコミに取り上げられ、大きな社会問題として注目を集めた。そして多くの中国人ゲーマーの不満を招く「ゲーム製品流通禁止命令」も発令されることとなる。ただしこれは、実体のあるゲーム製品に対する法律であり、基準も曖昧だったため、オンラインゲームはダウンロードコンテンツとして開発・運営が継続された。また、個人でのゲーム機・ゲームソフトの輸入販売はされており、ゲーム機の存在が完全に抹消されることはなく、グレーゾーンとして数十年間ずっと存在していた。

さて、このようにマイルストーン事件が続発し、業界が転換期を迎えた2000年は「中国のオンラインゲーム元年」だと言われている。

その後、オンラインゲーム市場は急速に拡大し、IT企業もその潮流に乗って参入を始めた。例として、中国で知られている文書処理ソフト「WPS Office」シリーズや、セキュリティーソフト「金山毒覇」などを開発した金山軟件(King Soft)は、武俠テーマのMMORPG『剣俠情縁』によりゲーム事業の拡大に成功した。

もう一つ例を上げると、世界的に有名な騰訊(テンセント)社だ。騰訊は1999年にリアルタイムチャットソフト「ICQ」のアイデアに基づいて、中国で「QQ」を開発・運営して企業規模を急速に拡大した。現在では騰訊の全ユーザー数は約10億人に上る。2004年に同社の新規ブランド「騰訊遊戯(テンセントゲームズ)」で、自社開発のボンバーマン式オンライン対戦ゲーム『QQ堂』を運営し始め、今ではゲーム部門の売り上げだけでも世界有数のIT企業となっている。騰訊の経営戦略とビジネスモデルは中国では非常に典型的であり、機会があったらぜひ詳しく紹介させていただきたいと思う。

QQを基盤として、アバター換装サービス「QQ Show」、有料VIPサービス「QQ会員」などの派生サービスは十数種類ある。

中国のゲーム業界が持つ特異な点は、コンシューマ時代の開発経験の積み重ねがないこと、そして海外との公平な市場競争がなかったことだ。その状況の中で、創作意欲の高い人々は海外で成功したゲームを模倣しながらも中国ユーザーの需要を正確に把握した要素を組み込み、成功してきた。あまり褒められたものではないその歴史だが、今から考えると必然性も感じられる。

そして、その歴史を背負って成長してきた中国のゲーム業界は今、世界の舞台に立つ。海外と同じレベルで競争する中国のゲーム開発者たちは、どのように自分の創造力で世界を驚かすのだろうか。

開かれた世界への挑戦

いまでは誰もが見慣れている「インディーズ」という言葉だが、個人資本での趣味的なゲーム制作は昔からずっと存在している。例えば日本では80年代のゲーム業界の成長に伴って、コミケなどのイベントで個人が開発した二次創作物や、いわゆる「同人ゲーム」などが流通するようになった。

一方、中国では状況が違った。外来文化の受け入れは90年代以後のことで、先にも触れたように当時国内の文化産業は海外と比較して乏しく、日本の同人文化のようなものも生まれなかった。もちろんコミケのようなイベントが北京や上海にあったとしても、地方までは影響が及ばなかった。また、2000年からのオンラインゲームの隆盛、ゲーム製品禁止法令の影響や、ユーザーの好みの変化などの理由により、シングルプレイゲームを開発する会社はほとんど無くなってしまった。その時点での中国国内には、オンラインゲーム業界しかない状況だと言っても過言ではなかった。

そして、企業がシングルプレイゲームを作らなくなった直後、雨後の筍のように個人開発のゲームが出現してきた。中でも、2000年前後にネット上で拡散された『北京浮生記(ペキンウセイキ)』は初めて影響力を持ったものかもしれない。

ゲームの内容は、エロ本や海賊版CDの売人になり、北京でビジネスを展開してお金を儲ける経営シミュレーションゲーム。面白い世界観と大量のランダムイベントが特徴。

個人開発を推進するもう一つの力となったのはAdobe Flashだ。あの時代にゲームエンジンという概念はまだ存在していないが、Adobe Flashを2Dエンジン的なものとして使用したゲームは世界中にも多く存在したはずだ。たくさんの無料Flashゲームを提供するサイトが現れ、中国でもブームになった。Flashゲームを作る人はあまりにも多すぎて数えきれないほどだが、その中で個人開発の棒人間アクションゲーム『小小系列(ショウショウシリーズ)』は成功例として広く知られている。

現在でも運営中の「4399小遊戯」。こういったサイトは普段あまりゲームを遊んでないユーザーのチョイスだ。

Flashゲーム以外の個人開発作品もある。2005年の『雲(くも)』というゲームは少年を操縦して空を飛び、白雲と協力して黒雲を消去する癒し系ゲームだ。そのゲームの開発者というのがまさに『Flower』や『風ノ旅ビト』など近年話題のプレイステーション作品のデザイナー、陳星漢(Jenova Chan)氏である。

記憶に残っているもう一つの話題作は、2009年『東東不死伝説(トウトウフシデンセツ)』という2DFMエンジンで開発した実写系格闘ゲームである。ゲームプレイヤーたちがチームを組んで共同開発した無料ゲームだった。操作性がしっかりしている上に選べるステージは36種類、キャラクターが39人、ローカル対戦とネットワーク対戦が可能、キャラクター制作中に撮影した写真だけでも1万8千枚だったという。いわゆるバカゲーではあったものの、クオリティーの高さは確かで、国内で有名なゲーム雑誌でも話題を取り上げていたほどだ。ネットカフェへ行くと多くのプレイヤーが対戦している場面を目にしたものである。

『東東不死伝説』ゲーム画面

その後、プレイステーション3やXbox360でのオンラインサービス提供開始や、Steamのようなプラットフォームの出現も中国のゲーム業界に影響を与えた。近年、中国のインディーズ開発者も無料ゲームの開発から視野を広げ、利益を得る方法を模索し始めた。海外のプラットホームでの発売はもちろん一つの方法だが、文化のギャップや、ローカライズ、海外口座の開設など色々な問題がある。

それでも挑戦者がいた。一つの代表は今中国で無数のファンを有する『雨血(ユーシェー)』シリーズだ。2008年の初代『雨血』はRPGツクールで開発した無料ゲームだったが、英語化した後に海外でも発売して好評を博した。2作目からはUnity開発となり、中国のPCゲームパブリッシャーGamebarから国内発売され、中国史上初めての有料インディーズゲームとなった。最近ではスマホ版オンラインゲームもサービスを開始し、『雨血』シリーズは名実ともに確かな地位を築いている。

しかし私は『雨血』シリーズの成功は再現できないものだと考えている。かつて『雨血』の開発者梁其伟(リャンチーウェイ)氏が中国のQ&Aサイトで彼の観点を語ったことがあり、私も非常に共感したのでここに引用させていただきたいと思う。

優秀なインディーズゲームにはいつも3つの特徴がある。

1. コンテストや募金サイトで評価されて、知名度が引き上げられる。
2. アイデア自身はニッチで、主流の需要は考えない。しかし結局そのニッチなアイデアがブームになる可能性もある。
3. 開発チームは完全独立で外部の投資がない。それで落ち着いて開発することができる。

しかし現在の中国では、この3つのうちどれか1つを満たすことすら極めて困難だ。

梁其伟

2015年PS4 Storeで発売された『雨血前伝:蜃楼』はシリーズのプロローグである。

中国ゲーム文化の春は近い

中国に技術力とアイデアを持つ人材はいつの時代も存在してきたと、私は思う。しかし今まで(正確にはゲーム解禁前まで)の中国ではまず自分のアイデアを展示できる場所がなく、一人の力でアイデアと技術力両方を活かして生きていく「プラスの循環」を作るのが非常に困難だった。ゲーム特化のイベント・コンテストなどまずなく、あったとしてもいつも北京・上海・広州などの限られた都会で開催され、地方の人々にとっては応募・参加するのが難しい。また、国内ではゲーム開発・販売に関する資料が少ない。ネットで検索してもほぼ何もなく、ゲーム専門学校もないため、系統的な知識を勉強したいなら、おそらく留学するしかないだろう。

こういう状況で、ほとんどの人はまず企業での就職を目指している。仕事で勉強するのが一番早く、企業で基礎を作ってから独立を目指すのが理想的だからだ。しかし、優秀な人材ならもちろん大手を目指せるが、中小企業は生存競争が激しく、入った企業が一発屋になる可能性がかなり高い。もし生きていきたいのなら、できるのはすでに成功した作品をパクるか、もしくは大手に買収される機会を待つかである。多くの人々は年数回の転職をしながら、やがて夢を諦めていくのだ。

幸い、ゲーム製品解禁以来、状況は前例のない速さで改善されている。例えば、現在中国ではインディーズ特化のパブリッシャーが数社存在し、海外・中国双方向の無料かつ高品質なローカライズなど特有のサービスを提供している。マイクロソフトやソニー・インタラクティブエンタテインメントも、中国版ゲームハードの発売を機に大学や政府と連携し、開発コンテストやゲームショウなどが年間数回開催されるようになった。2015年にXbox Oneストア中国エリアで先行発売したインディーズゲーム『Candle Man』はその成果の一つだ。

2017年12月7日、上海東方明珠グループ主催の「家庭遊戯開発者大会(通称FGF)」が開催された。ソニーインタラクティブエンタテインメント、マイクロソフト、UbiSoft、SEGAなどの企業が参加し、新作発表なども行った。個人開発者・学生向けの展示エリアも用意されている。

もちろん教育、情報流通、投資、開発、マーケティングという一連の生態を作るには時間が必要で、昔からずっと存在しているグレーゾーンも短期間で消えるわけではない。しかしこの数年間で中国のプレイヤーたちは大きな変化を体感しているだろう。そして、待ちきれない人々はすでに優秀な作品で世界に自分たちをアピールしているのだ。

90年代以降、中国のプレイヤー・開発者たちは独自の文化背景で成長し、特有の考え方を持っている。読者の皆さんには今回の文章を通して、この歴史を少しでも理解していただけたら幸いである。今後も引き続き中国のゲーム事情を紹介させていただきたいと思うので、ぜひお楽しみに。

Made with Unity - 2018年1月29日